トップ14 · 2026-27

Section Paloise

順位表 2位6試合 · 5勝 · 0分 · 1敗得点 239 – 失点 181
トップ14での直近の成績WLWWW

Section Paloiseについて

Section Paloise — クラブカラーで描いたイメージ
クラブカラーで描いたイメージ
創設
1902
本拠地
ポー
グラウンド
Stade du Hameau
クラブカラー
公式サイト
section-paloise.com (新しいタブで開きます)

主なタイトル

  • フランス王者 · 3

    1928, 1946, 1964

  • プロD2優勝 · 1

    2015

  • ヨーロピアン・チャレンジカップ · 1

    2000

主な選手・指導者

  • Philippe Tissié — 体育教育団体リーグ・ジロンディーヌの生みの親である医師。そこではラグビーの前身バレットが行われ、1902年にクラブはそのポー支部として誕生した
  • Albert Cazenave — 黄金期の中心だったカズナーヴ兄弟の長兄。選手、監督、会長を歴任。フランス代表5キャップ
  • Charles Lagarde — 1932〜52年の会長。1939・52年のイヴ・デュ・マノワール杯、1946年の優勝
  • Jean Capdouze — 「ナノ」の愛称。1964年の決勝でベジエに14-0で勝った試合の2トライを挙げた
  • François Moncla — 黄金期世代のフランカー。ラシンを経て1959〜66年にポーでプレー。フランス代表31キャップ
  • Robert Paparemborde — 苦しい時代に現れたスターのタイトヘッドプロップ。1969〜83年にポーでプレー。フランス代表54キャップ
  • Imanol Harinordoquy & Damien Traille — 2000年のチャレンジカップを制した世代(アリノルドキは1999〜2004年、代表82キャップ。トライユは2000〜04年と2014〜16年、85キャップ)
  • Conrad Smith — ニュージーランド代表として2度の世界王者(2011・15年)、94キャップ。昇格後の2015〜18年にポーでプレー

歴史

セクシオン・パロワーズの起源は、医師フィリップ・ティシエの「スポーツによる教育」の信念から生まれた体育団体リーグ・ジロンディーヌにある。そこではラグビーの前身バレットが盛んに行われ、1902年にリーグがスタッド・パロワを吸収して「リーグ・ジロンディーヌのセクシオン・パロワーズ」となった。1905年に独立し、1912年から緑と白をクラブカラーとした。1910年にクロワ・デュ・プランス競技場に移り、1928年にはトゥールーズでの決勝でキヤンを6-4で破って初のフランス王者に。カズナーヴ兄弟と会長シャルル・ラガルド(1932〜52年)の黄金期には、イヴ・デュ・マノワール杯を1939年と1952年に制し、1946年(パルク・デ・プランスでルルドに11-0)と1964年(ベジエに14-0、ジャン・カプドゥーズの2トライ)に優勝した。1977年にグループBへ降格し、1989年と1990年にグループB決勝を戦い、1990年にスタッド・デュ・アモーへ移転。新世代が1997年にデュ・マノワール杯、2000年にチャレンジカップ(カストルに34-21)を制し、1998年にはフランスラグビー初のSAOS(プロスポーツ会社)となった。2006年に降格したが、2015年にプロD2を制覇。2025年は8位となり、25年ぶりにチャンピオンズカップ出場権を得た。

出典: section-paloise.com · section-paloise.com (2) · section-paloise.com (3) · top14.lnr.fr · en.wikipedia.org · en.wikipedia.org (2) · en.wikipedia.org (3) (新しいタブで開きます)

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