トップ14 · 2026-27

Aviron Bayonnais

順位表 5位6試合 · 4勝 · 0分 · 2敗得点 190 – 失点 214
トップ14での直近の成績LWWWL

Aviron Bayonnaisについて

Aviron Bayonnais — クラブカラーで描いたイメージ
クラブカラーで描いたイメージ
創設
1906
本拠地
バイヨンヌ
グラウンド
Stade Jean-Dauger
クラブカラー
公式サイト
abrugby.fr (新しいタブで開きます)

主なタイトル

  • フランス王者 · 3

    1913, 1934, 1943

  • プロD2優勝 · 2

    2019, 2022

主な選手・指導者

  • Alfred Russel — クラブ幹部アルベール・コードロンが連れてきたスコットランド人。1909年からバイヨンヌで初めて攻撃ラグビーを説いた
  • Owen Roe — ウェールズ人。「15人全員がスリークォーター」を説き、その展開ラグビーが1913年の優勝チームを形作った。晩年をバイヨンヌで過ごした
  • Jean Dauger — 1941〜56年にバイヨンヌでセンター/スタンドオフとしてプレーし、1943年の優勝の立役者に。フランス代表3キャップ。本拠地の競技場に名を残す
  • Maurice Celhay — センター/ウイング。フランス代表6キャップ(1935〜40年)。ドージェとともに1943年の優勝の立役者
  • Roland Petrissans — 1977年からフランスのラグビー界で一目置かれたチームの主将。1980年にイヴ・デュ・マノワール杯を制した
  • Roger Etcheto — 1977〜81年に監督、その後1990年までスポーツディレクター、1995年までジャック・フールーとともにフランス代表の選考委員を務めた
  • Martín Bustos Moyano — アルゼンチン出身のキッカー。2019年プロD2決勝(対ブリーヴ)で終了間際のPGを決め、21-19で勝利をもたらした

歴史

アヴィロン・バイヨネは1904年9月14日、バイヨンヌの漕艇協会と袂を分かった28人の漕手によって創設され、1906年にラグビーを始めた。ランド県カステ出身の生徒ピエール・ファーブルが、バイヨンヌのリセにこの競技を持ち込んだのがきっかけだった。スタイルを形作ったのは2人の英国人で、1909年から攻撃ラグビーを説いたスコットランド人アルフレッド・ラッセルと、「15人全員がスリークォーター」という理論を掲げたウェールズ人オーウェン・ローである。走力で重いフォワードをかわすラグビーで、1913年にコロンブでの決勝でSCUFを破って初優勝、1934年の決勝ではビアリッツに13-8で勝ち、1943年にはジャン・ドージェとモーリス・セライを擁して3度目の優勝を果たした。イヴ・デュ・マノワール杯は1936年と1980年に制し、1982年の決勝ではアジャンに敗れた。プロ化以降はトップ14とプロD2を行き来し、プロD2を2019年と2022年(決勝でモン=ド=マルサンに49-20)に制覇。2022-23年はトップ14で8位、満員のジャン・ドージェ競技場で無敗を守り、初めてチャンピオンズカップ出場権を得た。

出典: abrugby.fr · abrugby.fr (2) · top14.lnr.fr · fr.wikipedia.org · fr.wikipedia.org (2) (新しいタブで開きます)

トップ14の順位表をすべて見る →